Le souvenir comme un histoire
ふと、夕方を吹き抜ける風がとても心地よくなっていることに気づく。
かすかに虫の声が聞こえる、夏の気配がする。
17時ごろのこの感じ、思い出すのは高校の時の部活からの帰り道だ。
グラウンドを走り回ったから身体はもうクタクタで、空腹感は最優先事項だった。
電車内にはわずかの人たち、聞こえるのは電車の音と初夏の音。
極楽寺駅でいつも聞こえた小川の音は、間違いなく青春の1ページになっている。
高校生活をこうして思い出してみると、こうした無数の名もなき風景があったのだなと感じる。
期末テストのことなんて都合の良い記憶だけだ笑
部活だったり、受験だったり、友達だったり、人によって3年間の中から切り取るイメージは様々だろう。
『物語の役割』小川洋子
「人は現実を自分に合うかたちで、物語として受け入れている」
80年生きて、その人がどんな風景を切り取っていくのか、そして最後に残るもの。それが生きかたなのだろう。
素材はこれからたくさんあるはず、どんな切り取りかたが出来るのだろうか、、