1997年、文学、旅

読んだ本、日々感じたことなど

わずかな自分自身


仲の良い友達が留学に行くので、今日は簡単な送別会のようなものをしてきた。1年で帰ってくるわけだし、特別しんみりするつもりはなかったのだけれど、少しの間でもお別れするのはちょっともの悲しい。

 

「さよならを言うことは、少しの間死ぬことだ」

 

ロンググッドバイ(村上訳)の有名なセリフで、小説のセリフの中でも最も好きなもののうちの1つだ。

 

と言うのも、このセリフには元になるものがあって、それはフランスの詩人、エドモン アロクールの詩だ。

 

《Partir, c'est mourir un peu,
   C'est mourir à ce qu'on aime 
   On laisse un peu de soi-même
   En toute heure et dans tout lieu.》

 

「離れること、それは少しの間死ぬことだ

   愛する人のために死ぬことだ

   私たちはわずかな自分自身を

   全ての時間、全ての場所に残してゆく」

 

詩はもっと続くのだけれど、この後半部分が特に気に入っている。

高校の時の恩師の先生が、人は今までであった人で出来ている、というようなことを言っていた。まさにそうだとこの詩を知って再確認できた気がする。

 

これまでいろんな人に出会ってさよならをしてきた。けれど、きっと人と出会うたびに、その人のわずかな断片が自分の中に残されていて、自分も同じく相手に残せたものがあるはずだ。

 

それにしても、さよならするのはいつになっても上手くならない〜




 

 

 

 

 

 

Le souvenir comme un histoire

 ふと、夕方を吹き抜ける風がとても心地よくなっていることに気づく。

かすかに虫の声が聞こえる、夏の気配がする。

 

17時ごろのこの感じ、思い出すのは高校の時の部活からの帰り道だ。

グラウンドを走り回ったから身体はもうクタクタで、空腹感は最優先事項だった。

電車内にはわずかの人たち、聞こえるのは電車の音と初夏の音。

極楽寺駅でいつも聞こえた小川の音は、間違いなく青春の1ページになっている。

 

高校生活をこうして思い出してみると、こうした無数の名もなき風景があったのだなと感じる。

期末テストのことなんて都合の良い記憶だけだ笑

部活だったり、受験だったり、友達だったり、人によって3年間の中から切り取るイメージは様々だろう。

 

『物語の役割』小川洋子

「人は現実を自分に合うかたちで、物語として受け入れている」

 

80年生きて、その人がどんな風景を切り取っていくのか、そして最後に残るもの。それが生きかたなのだろう。

素材はこれからたくさんあるはず、どんな切り取りかたが出来るのだろうか、、

 

 

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

物語の役割 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

午後3時の平和

 

お昼ご飯を食べるタイミングを逃して、家の近くの、まだ行ったことのない大衆レストランにいってみた。魚介のクリームパスタとドリンクバー。

 

店内はガランとしていて、時間はゆっくりと鈍行列車のように流れていた。

大好きで、何度も読み返した、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』の中で、秀美君が風邪を引いた時に感じた気持ちもこんな感じだったのかな〜

忙しい日常の中にちょっとした空白を見つけられると、嬉しい気持ちになりますね

 

 

 

 

 

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)

 

 

 

 

 

見たもの、感じたもの

いざブログをはじめようとすると、文章を書こうとすると、どんな風に書けばいいのか悩ましい笑。読者ゼロ人の状態から書き始めるのは、少しもの悲しい気もするけど、信じてがんばろう、、

ということで、よろしくお願いします!

『神去りなあなあ日常』のユウキの気持ちがよくわかる笑

 

日々の生活で自分の身体を通り過ぎていったものに少しだけ気を配って、形にできたらいいな~

 

 

神去なあなあ日常 (徳間文庫)

神去なあなあ日常 (徳間文庫)